丹羽耕三博士が亡くなられてずいぶんと時間が経ちました。
大切な師を失った喪失感から立ち直れず、支柱を失った生活を過ごしてきました。
皆様に丹羽SODをお伝えするエネルギーも落ちたことを実感する日々が続いていたある日、明け方に丹羽博士が夢枕に立ちました。
何かを言ってくださったわけではなく、じっと顔を見てくださり、そして消えてしまいました。
亡くなられてから8か月以上過ぎていました。短い夢でしたがお顔を出していただけただけで、とても嬉しかったことだけ覚えています。
それから間もなく、Tさんからいただいていた丹羽博士のストーリーを漫画化する話が、とても現実的になってきました。
Tさんとはアオバスタート10年目くらいに出会い、ずっとサポートをしていただいています。
近年は健康面でのハンデキャップを抱えながらも、私にとって大切な気づきの機会をくださっています(ご本人はそうとは思っていないかもしれませんが)
今手掛けているのが、丹羽博士の健康科学(DVD)のテープ起こしです。
彼を手伝ってくださるお仲間が手分けして博士の言葉を文章にしてくれています。
途中経過を送ってもらったのですが、これがめちゃくちゃ楽しくて大うけ。
私はいっぺんに元気をもらいました。
博士の言葉は関西訛りに土佐弁がミックスされ、さらに早口で巻き舌気味、なかなかすぐには聞き取れないのですが、
丹羽博士が夢に現れたときは言葉をかけてくれなかったのですが、このテープ起こし文は何度も何度も講演会のお手伝いをしたときに聞いてきた、そのまんまの丹羽節を思い起こしてくれます。
そしてハッと気づきました。
丹羽博士ご存命中は、博士と私の役割の違いは明確で、博士の領域に入らないように意識してきました。
博士亡き後も同じように考えて丹羽SODのことを伝えてきました。
でも今、博士の偉業を世に伝える人がいるのだろうかと真剣に考えてみました。
丹羽博士に救われた人は私自身を含め数知れず。
特にすぐ近くで教えを受けてきた私は、博士が亡くなられた今こそ、博士の考えを、思いを伝えていかなければならないと気づかされたのです。
博士が残した偉大な功績の一部でもお伝えできたら良いな‥‥と、
丹羽免疫療法と真の健康についての語り部になるぞ‥‥と、
そんな決心をひそかにしたのでした。
猛暑に負けない熱い想いを伝えるため、SOD勉強会の内容も少しずつ変えていく予定です。
初めまして
私は現在54歳、20年程前に丹羽先生を知り、土佐清水病院で入院治療を受けました
がんを完治させるには、これまでの生き方も変えなければならないと思っているのですか
どのように思われますか
コメントをいただきまして、ありがとうございました。
がんと生き方、とても深いテーマですね。
よろしかったらゆっくりとコミュニケーションをとらせてくださいませ。
アオバにご連絡いただければ嬉しいです。