おせち作りに思う

おせち作りをちゃんとしようと始めたのはいつのころからだったか、
記憶があいまいになるほど長い間毎年取り組んでいます。

おせちの話をちゃんとしようとすると、
私の恥多き人生を振り返ることになってしまうので、
こんなことを紙面にさらすのは
読んでくださっている方に申し訳ない気もするのですが、
そこはお許しください。

私の家族構成は、夫が1名(当たり前ですね)、
息子が1名(伴侶と仲良く暮らしていますが孫はいません)
娘が1名(やさしい旦那様と可愛い孫娘の3人暮らし)
とここまでは、結構どこにでもいる感じの60代最後を迎えたおばさんです。

以前、形態研の足立所長から、
「家族への感謝が足りません」
とご指摘いただいたことがありました。

さてどうしよう、
夫にとって私はできの良い妻ではなく、
何かと助けられているけど感謝できている気がする、
子供達にはしょっちゅう歯がゆい思いはしてきたが、
感謝はできているように思う。
何が足りなさになっているのかと考えているとき、
ふと、昔おせち料理の作り方を教えてくれた人の顔が思い浮かびました。

遠い昔、私が一度目の結婚生活をしている頃、
義理の母(お姑さん)が
何もできない私にいろいろなことを教えてくださった、
そのお母さんの顔を十数年ぶりに思い出したのです。

実は子供たちは前の夫との間にできた子供なので、
子供たちにとっても
以前の嫁ぎ先の両親はおじいちゃん・おばあちゃんです。
あっと気づいてその義理の両親がどうしているかを確認したら、
すでに二人とも他界していました。
別れた前の夫はどこでどう暮らしているか今もわかりません。

でも思い出してみると、
その頃の家族だった方たちに対して、
私には感謝のかの字もなかったことに気づいたのです。
それどころか、私は一人で子供二人を育てることになったという
恨みに似た気持ちを抱いた時期もありました。

本当にごめんなさい。
今の夫にも前の夫にも両親がいて、
夫がいて子供たちを授かり元気に暮らすことができてきた。
当たり前のようだけど、
実は深く感謝をする対象だということに初めて気づき、
心の中で手を合わせ、謝り感謝の思いを発振し続けました。

その後足立所長から家族への感謝ができていますと告げられて、驚きました。

なんでわかってしまうんだろう。

家族って今共に暮らす人だけではないのですね、
と申し上げたところ、
生死も時間も距離も関係なく家族は家族です、
という趣旨のことを教えていただきました。

私が仕事上で名乗っている前田は以前の嫁ぎ先の姓です。
毎年年末に少し頑張って作っているおせち料理の基本は前田家の味です。
娘も嫁もおせちは作りませんが、
それでいいと思っています。
作るたびに多くの家族やそのご先祖様に助けられて支えられて今があることに感謝ができる、
私にとっての一年の大切な時間であれば、
それで充分です。

おせちはいつも同じようなものをつくっていますが、
盛り付けは色々変えています。

昨年は大皿にオードブルのように盛り付けましたが、
今年は重箱に戻しました。

昨年のおせち
今年のおせち

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