「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」
漢字ばかりが多い言い伝えですが、
長く生きているとこういう言葉が抵抗なく受け取れるようになります。
足立先生流に表現すると「メビウス回転」でしょうか。
どちらが表か裏かわからない。
いいことも悪いことも全部ひっくるめてひとつにつながっている。
こういう風に受け取れると、
一喜一憂もしない、
起きることは全て必然、
意味のないことはひとつも起こらないということが、
実感できます。
その昔公務員だったころは、
「公私の区別」というものがはっきりと求められました。
たった3人でスタートのアオバでは、
これは私の仕事ではない、プライバシーの確保、
「公私の区別」などと言っていては、
すべてが止まります。
私だけでなく、子供たちも否応なく巻き込まれました。
いいことにもそうでないことにも。
AOVA SODの開発者丹羽博士は、
何か思いついたときにはすぐに電話をしてくるタイプでしたから、
私の自宅にもよく電話がかかってきました。
手が離せないときや不在の時、娘が何度も電話を取ってくれました。
「『わしじゃ。わしじゃ』って言ってるよ。わしだと思ったらにわとりだった。『ニワじゃ。』だって」
などと失礼なことも言ってました。
まだ小学生だった娘には、土佐弁訛りの関西弁の早口は聞き取れなかったことでしょう。
丹羽先生ごめんなさい。
娘と私は声が似ているということで、ご迷惑をおかけしました。
母親らしい細かな気配りもできぬまま、
思春期の難しい時期を二人の子供たちは乗り切ってくれました。
もっと成績が良かったはずなのに、
いつの間にか志望校にはとても入れてもらえない成績に落ちていたり、
学校からお呼び出しが来てしまったり。
それでも健康で何とか自立できる状態に育ってくれました。
何が人間にとって幸福なのか、
それぞれの伴侶と幸せそうに暮らす子供たちを見ていると、
成績の良しあしや出身校とは直結しないように思います。
わかったようなことを言っている私にも、
「なんでこうなる!」と思うような予期せぬ出来事がよく起こります。
それが「禍」なのか「福」なのか考えるより、
そのメッセージ性について感じるようにしています。
痛みが大きな出来事ほど、今必要があって起きているんだな~
と感じることが多いです。
「塞翁が馬」のように予測できない事態というより、
自分の深いところでプログラムして、
体験して味わってみようと思ったことが現実化しているとしたら、
起きることは誰のせいでもなく、自分にとって必要なことなのだから。
前回お伝えした「忘却力」とともに身に付けた「すべて肯定力」です。