アオバのスタート時、
何もない状態から会社を作るのですから、
やることがたくさんあります。
忙しいことはかまわないのですが、
何しろお金がなかったのです。
白井社長はアオバスタート以前、
通販会社に製品を紹介し、
通販冊子で紹介してもらい、
消費者に買っていただくという、
卸売りの会社を事実上の経営者として運営していました。
2度の倒産の後ですから、
この卸売会社も実態は債権者が管理していましたが、
この頃から私は白井社長ご夫妻にご縁をいただき、
この会社に勤務をしておりました。
白井社長の時代を読む目の正しさから、
通販会社に紹介した製品が次々と大当たりして、
債権者にはかなりの利益を
還元しているのをこの目で見てきました。
ところが、
丹羽耕三博士(この頃は丹羽靭負博士)との出会いをきっかけに、
白井社長が日ごろから口にしていた、
「50歳を過ぎたら世のため人のためになる仕事をする」
という熱い思いに更に火がついてしまいました。
真っ黒けの利益体質の会社と、
大当たりしている通販製品を債権者の下において、
又裸一貫で飛び出してしまったのです。
これは私自身にとってもかけでした。
最初の結婚に失敗し、
小学生の子供2人を抱えるシングルマザーである私にとって、
曲りなりにも生活を支えている会社を飛び出して、
新しい世界を自ら作り上げなければ、
親子で路頭に迷うという人生の分かれ道です。
不思議と、大きな不安はありませんでした。
ここで、たった3人で新しい会社を立ち上げる、
それも丹羽耕三博士という偉大な存在と、
白井社長の夢、
そこで自分自身も何かができるということに恐れよりも、
ワクワクが大きかったのでした。
怖いもの知らずの若さの特権であったのかもしれません。